高木美帆3000Mで自己記録更新も1500Mで悲願の金獲得ならず




ソチ五輪の代表から漏れ挫折を味わった高木美帆選手。

 

女子スピードスケートの金メダル候補ですが、最も得意な1500で悲願達成ならず!

 

但し銀メダルは立派です。

 

高木美帆選手は挫折からどのようにして立て直したのか?

 

人との出会い、そして高木美帆選手が心に響いた言葉とは?

 

Contents

高木美帆スピードスケート1500Mで銀メダル獲得

 

高木美帆実績十分も金獲得ならず

 

平昌五輪スピードスケート女子3000メートルに出場した高木美帆選手が、自己ベスト記録を3秒15も更新しました。

 

 

残念ながらメダル獲得には至りませんでしたが、最も得意な1500メートルなら金メダル獲得だと思われていました。

 

3000メートルで自己ベスト記録を叩き出したこともあり、体調も調整も万全です。

 

ところが絶対の自信を持っている1500メートルで金獲得には至りませんでした。

 

今季W杯で1500メートルは4戦4勝と圧倒的な強さを見せていましたが、一歩及びませんでした。

 

 

金の最有力候補でしたが、大舞台での一発勝負は難しいものがあります。

プレッシャーの中での銀メダルは立派です。

 

高木美帆生かされた3000Mの教訓

 

ところで1500メートルの前に3,000メートルに高木美帆選手は出場して学んだことがあります。

 

この3,000メートルの反省が次の1,500メートルに生かされる結果になりました。

高木にとって今五輪最初の種目となった10日の女子3000メートル。W杯で今季1勝し、メダルも期待されていた。
そして号砲が鳴る。前半から同走のデヨング(オランダ)にリードされる展開。目標としていたラップタイムを刻んでいたが、焦りが生じる。
「それ(目標ラップ)を上回るタイムで同走の人が滑っていたので、前に出るためにピッチあげていたところがあった」。

無理にペースを上げ始めたところで中盤からリズムが乱れた。圧倒的強さを見せつけたW杯とは別人の滑り。
これが五輪の怖さだ。終盤苦しい顔をして踏ん張るが結果5位。「もし同走の人が自分より後ろに居る人だったら展開は変わっていたかもしれない」と後悔した。    引用元

 

3,000メートルでは、相手の動きに合わせてしまい、自分のペースを守れなかったことが伸び切れなかった原因です

1,500メートルは一番得意な距離ですが、3,000メートルの教訓が生きました。

 

先行するであろう相手に合わせせるのではなく、自分のペースを守り通しました。

 

僅差で金メダルは逃しましたが、堂々の銀メダル獲得です。

 

高木美帆選手が花開いた理由

 

デビットコーチの科学的なトレーニング効果

 

15歳でバンクーバー五輪に出場し、天才と呼ばれ日本国内には敵なしのはずが、ソチ五輪の切符を逃しています。

 

 

4年前の挫折が高木美帆選手を変えたと言っていいでしょう。

 

まさかの代表落ちを経験したことが天才の目を覚まし、挫折がバネになって花開いたのです。

 

高木美帆選手の才能を開花させたのは本人の努力ももちろんありますが、本人の努力だけでは限界があります。

 

オランダから招いたコーチの存在なくしては、ここまで高木美帆さんが強くなれたかどうかわかりません。

 

オランダから招いたデビット・コーチは、科学的な数字データも取り入れトレーニングを課しました。

 

 

また、自転車トレ―ニングなどの厳しい練習にも耐えて、徐々に力をつけていきました。

 

デビットコーチの精神面のささえ

 

さらに、精神面でもデビットコーチから影響をうけています。

世界的スターのイレイン・ブスト(オランダ)のレースを見ていた高木の目は憧れそのものでした。

 

自分には勝ち目がないと言っているような眼差しがデビットコーチには気がかりでした。

 

そんな気配を察したデビットコーチの言葉が、高木美帆選手の心に響きました。

 

 

「同じ人間なのに、なぜ自分もできると思わない」と問い掛けたのでした。

 

高木美帆選手、キーとなる出会いと言葉

 

高木平昌五輪スピードスケート女子3000メートルの心にグサッと突き刺さった言葉があります。

 

それは、バンクーバー五輪男子500メートル銀メダリスト、長島圭一郎氏のひと言でした。

 

はっきりと『太ってるね』って言われたんです。いや『丸いね』だったかもしれません。

 

長島圭一郎氏の何気ない言葉がずっと頭に残っていたそうです。

 

 

それからというもの、食べ物には十分注意し、甘いものや揚げ物は極力口にしないよう心がけたそうです。

 

スピードスケートの個人種目で日本人女子初の銀メダルを、高木美帆選手がもたらしました。

 

前回ソチ五輪の代表落ちから立て直す事ができたのは、キーとなる出会いや言葉があった訳です。

 

 

勿論、本人の努力無くしてはメダル獲得に至らないのも事実です。

 

持って生まれた才能だけでは花は開きません。

天才と言われた高木美帆選手を見ているとそう感じます。

 

まとめ

 

平昌五輪スピードスケート女子1500メートルで高木美帆選手が銀メダルを獲得しました。

 

高木美帆選手が銀メダル獲得するまでの道のりは平坦ではありませんでした。

 

前回ソチ五輪は代表からもれ悔しい思いと挫折を味わいました。

 

 

そんな中、高木美帆選手が立ち直ったのは、キーとなる出会いと精神的な支えがあったからです。

 

天才と言われた高木美帆選手でも、持って生まれた才能だけでは開花しません。

 

本人の努力と良き指導者に恵まれたことが、高木美帆選手のメダル獲得に繋がったのです。

 




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