魔女の宅急便ってどんな映画?
可愛い女の子がホウキにのって飛び回る愉快な映画だろうと思っていました。
でも映画を見終わった時の感想は、とても奥が深い映画だと感じました。
そして私に勇気を与えてくれました。
キキが空を飛べなくなってそして再び空を飛べるようになった経緯。
ラストシーンこそこの映画の真骨頂だと思います。
Contents
魔女の宅急便キキが飛べなくなった理由
キキは、魔女の宅急便の主人公ですが、途中でスランプになるシーンが見られるのはご存じですよね?
空が飛べなくなったり、ジジの声にもかかわらず聞こえなくなったりするのです。
そういう理由で、宅急便の仕事においてもしばらくの間休みをとるはめになります。
何故キキは魔法が使用不能になったかご存知でしたか?
実はこの映画のテーマにもつながる事象なんです。
そして、宮崎駿監督が魔女の宅急便を通じて伝えたかったことは何か?考察していきます。
キキが飛べなくなった理由を考察
・思春期の不安定な心理面での影響と風邪が原因の体調不良が重なったという見方
・身体の成長に精神面が追い付かずにスランプ状態に陥ってしまった
・都会のおしゃれな女の子を羨ましく思い、自分には無いものにあこがれてしまった為に今の自分の何もかもを否定してしまったから。
・トンボに恋をしたため
いろいろな意見がありますが、この中でトンボに恋をしたためという意見はネット上では多数を占めているようでした。
但し、下記宮崎監督のインタビューから考察できることがありますので、読み解いてみましょう。
この作品では魔法というものを、 従来の魔法そのものの伝統とかを全て切り離して、キキの持っているある種の才能だと限定して考えました。
それだけに、いくらでも飛べなくなることがあるんです。飛べなくなったのはトンボとケンカしたからだとか、 説明すれば問題は明確になるとか言えば、そうはならないと思うんです。
むしろ、映画の中の表現の方が女の子に納得してもらえると思ったんです。僕たちにも、昨日描けたものが急に描けなくなることがよくあります。
どうして描けたのか忘れてしまうんです。 それがどうしてなのか解りませんよね
キキが飛べなくなったのは初潮が関係
「映画の中の表現の方が女の子に納得してもらえると思ったんです。」とありますが、映画の中ではキキがお腹が痛そうなを姿があったので、思春期前後に起こる女性の体の変化、つまり初潮であるということが憶測できるわけです。
初潮は、大人へ成長する階段で起こる女性ならではの現象で、そのため、精神的・身体的にも大きな変化があり、今まで通り魔法を使うことが出来なくなってしまったということです。
尚、トンボとの恋愛説は、宮崎駿監督のインタビューから完全になくなった感じです。
では、やはり初潮説なんでしょうか?キキが飛べなくなったのは、初潮を迎えたからという話は宮崎監督の女の子に納得してもらえるという一言から憶測されていることですが、果たしてそんな単純な理由なのでしょうか?
宮崎駿監督の作る映画です。
もっと奥の深い何かであることは想像に難くありません。
キキが飛べなくなったことウルスラとの会話がヒント
実はキキが飛べなくなった理由は、映画のなかのとある場面にヒントがあるんです。
映画の後半、空を飛べなくなったキキがウルスラの小屋を訪れます。あのシーンの会話を思い出してください。
キキが口にしたように、魔女というのは「血」で空を飛びます。「血」を具体的に言い換えるなら、生れながらの才能だと思います。
キキは生れながらの才能で空を飛んでいます。キキに関しては空をとぶのにもかかわらず修練してるわけではありません。
あまり努力することがなくても、いつの間にか、すんなりとこなせてしまう事例、あるのではないでしょうか?
意図しなくても他人に比べて思いのままにできること、きっとそんな得意分野それぞれ持っているんではないかと思います。
ズバリそれが「才能」=「血」というものです。
魔女の宅急便のテーマ考察
キキは魔女のしきたりで独り立ちするための旅に出ます。
魔女のしきたりは「魔女のいない街に移り住み、魔女としての修行を積む」ということです。
物語はここから始まりますが、キキは見知らぬ世界で思い通りにできないもどかしさを体験します。
子ども時代から大人の世界へ
キキに関しては、今まで自分だけの世界で、自由気ままに空を飛び回っていたんです。
街に来る前のキキについては、人と距離を取って、思い通りに空を飛んでいたのです。
自分だけの世界で、全部言われた通りにやってくれる従順なネコを引き連れて、全てのことは自分の思うまま。
ところが、一人で気ままに空を飛んでいれば良かった過去とは違う環境に置かれ戸惑ってしまいます。
街で仕事をすることになれば、より一層自分から周囲の人の中へ入って行く必要性が生じます。
親元を離れて独り立ちした以上、いつまでも自由気ままな子供のままでいられるはずもなく、多くのことを学ばないと生活できない環境に遭遇するのです。
飛行船の一件からの考察
仕事を行なっていく過程でお客様も多くなってきた、トンボという名の身近な異性の友達だってできた。
皆さんに自分の働きが認められるようになっていきます。
「空を飛ぶ」という自分の能力・才能が、認められることに歓びを感じるキキは生まれて初めて持つ感情です。
能力を受け入れられるということは、加えて周囲の人から評価され、序列を付けられるということを指します。
そのことが大人になるということなのです。
どうしたって他人を意識してしまいます。 それゆえに、トンボや女の子たちにやきもちを焼いてしまったり、コンプレックスを抱いたり、落胆してしまうのです。
トンボが「飛行船に乗ろ」って誘ったのに拗ねて帰ってしまったのは、その表れです。
キキにとっては友だちがトンボだけしかいないのだし、自分だけを構って貰っていると考えていたのに、トンボが沢山のの友だちを持っていたことに対して、ヤキモチを焼いた場面があります。
でも、キキがやきもちを焼いたというより、 空を飛ぶという値打を、「飛行船」と自分自身を比較してキキ自身の存在価値がたいしたことないと落胆したのではと推測します。
ニシンパイの一件からの考察
「ニシンのパイ」の一件もキキの心に影を落としてしまいます。必ずや感謝されるであろうと思っていたのに、「私このパイ嫌いなのよね」と冷たい言葉を浴びせられるのです。
仕事をするっていうのは、自分の思い通りに進まないこともあるという現実を突きつけられてしまいます。
ところで「ニシンのパイ」とは、魚をパイに入れて焼く、イギリス発祥のパイだそうです。
魔女の宅急便に出てくる「ニシンのパイ」はそれほど違和感がありませんが、本場のものは中に魚が入っているという事を表すために魚の頭部をパイから突き出すような形で包み焼きにされたものもあるとか。
本場のニシンのパイは少しグロテスクで食欲をそそるとは到底思えないぐらい不気味です。
魔女の宅急便はラストシーンが核心
結局、魔女の宅急便を通じてで宮崎駿監督は何を伝えたかったのか?
トンボとの恋愛でもないし、キキが飛べなくなった理由でもありませんが、それぞれの事柄はキキを取り巻く環境や心理状態を表しているのです。
そしてそれらのことはラストシーンに繋がる伏線として映し出しています。
いろいろあったけど、キキがラストシーンで再び飛べるようになる場面があります。
キキがトンボを何とか救いたい、それはキキが大人になる段階で世間のことが気になってしょうがない諸々の事など頭にありません。
ただ一心不乱に純粋にトンボを助けたいその気持ちだけなのです。
かっこばかりを気にしていたキキは、その辺のデッキブラシで必死で飛んで助けるわけです。
何故飛べなかったキキが飛べるようになったのか?
魔女の宅急便のラストシーンで、キキが飛べるようになったことに対して映画を見た人たちに何が大切なことなのか?
最初から最後まで映画を見れば答えはそれ程難しくはないはずです。
まとめ
魔女の宅急便の主人公キキは突然空を飛べなくなることからその理由が話題となりました。
宮崎駿監督のインタビューで「映画の中の表現の方が女の子に納得してもらえると思ったんです。」という言葉から空を飛べなくなったのは、初潮が原因と言う憶測が経立ちました。
森の中の山小屋のアトリエで生活している画学生ウルスラとキキの会話の中にスランプ脱出のヒントがあります。
ラストシーンで親友のトンボの救出が出来たのは、キキが再び空を飛ぶ事ができたからで、何故飛ぶことができたのかそこにこの映画の核心があると思います。