「この世界の片隅に」のドラマは2018年7月にTBS系で放映されます。
アニメ映画は、一見牧歌的でほのぼのとしています。
牧歌的でほのぼのという印象の中に対照的ですが、男女の愛憎劇が描かれています。
時代背景は戦時下ですが、男女の営みから伝えたいこととは?
またドラマで恋愛どう描くか注目しましょう。
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この世界の片隅にアニメの印象
この世界の片隅にアニメは牧歌的でほのぼの
「この世界の片隅に」のアニメを観たのですが、牧歌的なほのぼのとした作品という印象です。
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それに、ぼんやり見ていると平凡であまりヤマ場のない映画に受け取れます。
また、何となく見ていると淡々とストーリーが展開されイメージが残りずらいという感想です。
そういう意味では、集中してみるべきアニメなのかもしれません。
また、1回だけでなく、2回か3回観るとじわじわと映画の良さを感じてくるんだと思います。
まあ、これは個人的な感想であって、単に私の理解度が悪いせいかもしれませんね。
この世界の片隅にアニメはのんの影響大
戦争を題材にした物語なんですが、暗くて重~いという印象はありません。
ところどころにユーモアを感じる場面もあり、戦時下の悲壮感は思ったよりあまり伝わってきません。
それが何となく救いのような気がしますし、登場人物もほぼ現状を受け入れて淡々と生きています。
バタバタしても始まらない!なるようにしかならない!それでいて決して無気力ではないのです。
主人公”すず”のほんわかとしたキャラクターと、”すず”の声を担当した「のん」さんの影響もあるでしょう。
「この世界の片隅に」の「のん」さんの影響が大きくこの映画を印象付けているような気がします。
この世界の片隅にドラマで恋愛どう描く
この世界の片隅に「大人」の世界とは?
「この世界の片隅に」は戦時下の広島県呉市での一般市民の生活が描かれています。
その中でもストーリー上ところどころに登場人物の恋愛模様が描かれているのがポイントです。
えって!思わずなんでそんなことするの?という驚きの間面もあります。
また、何となく見過ごしてしまいそうな場面もあります。
しかし、気を付けて見ているとどういう意味なの?と気になってしまいます。
現代ならいざ知れず、時は戦時下ですし、そんな中でも男と女の「大人」の世界は存在するのです。
どういう意味なの?と感じる場面はアニメ映画の最初方に訪れます。
最初の方なんで眠くならず見ている人が多いと思います。
多くの人が感じた場面ではないでしょうか?
それは、嫁入り前、主人公のすずはいつも優しいおばあちゃんから伝えられます。
新婚初夜の儀礼のようなものです。
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この世界の片隅に「柿の木問答」とは?
新婚初夜のやり取りについては、「柿の木問答」というモノの一種だと思われます。
柿の木問答とは、新婚初夜に新郎が「あんたの家に柿の木はあるか」と問い、新婦が「あります」と応える、
そして「オレが登って、もいでもいいか」「どうぞ」というやり取りがあります。
つまり、食べ頃の熟れた柿が新婦となる女性で、その柿は俺が取って食べちゃうよ。ってことですよね。
下品な言い方ですけど。このやり取りは、新婚初夜にお互いの意思疎通を行う儀式のようなものです。
柿の木問答には、その地方で独特の定型文があるようで、傘もその一種だと思います。
たぶん、「さす=挿す」で、傘は江戸時代には男性のアレを表す言葉だったので、こういった言い回しになったのかな?と思います。
でも新しいのを持ってきたと言っているので、どちらかと言うと傘は女性のアレで、傘はさす時に開く(=足を開く)って意味の方が強いかなと思います。想像ですけどね。
出典元 http://trendsokuhou.com/5125.html
戦時下のアニメ映画で新婚初夜の場面が出てくとは想像していませんでした。
それでも新婚初夜の場面を登場させたのには意味があるんだと思います。
戦時下であっても毎日変わらぬ日常がある、人の営みは続くみたいな感じですかね?
この世界の片隅にすずと幼馴染哲との関係
「この世界の片隅に」のアニメは、確かに一見牧歌的なほのぼのとした作品です。
ただそれは、スクリーンの映像と主人公すずの「のん」さんの声のトーンの影響が大きいです。
「ほのぼのした作品です」と言いましたが、実は男女の「愛憎劇」が絡んだ結構ドロドロした側面もあります。
すずには水原哲という幼なじみがいましたが、悪ガキだった彼が、人妻となったすずの前に現れます。
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彼は、突然やってきて、図々しく北条家に泊めてほしいと言い放ちます。
彼は、夫の周作の前で、図々しく振舞い、すずを呼び捨てにしてからかいます。
すずは、普段はおっとりしていても、幼なじみの態度に怒り子どものように感情を露わにします。
それを黙って見守る周作でしたが、すずと哲にとっては思いがけないことを言いだします。
「申し訳ないがわしはあんたをここへ泊めるわけにはいかん」と哲を家から出し、納屋の二階へ寝かせます。
この世界の片隅に周作のすずへの複雑な思い
ここまでの話なら、周作さんちょっと冷たいねで済んでしまいますが、その後のことが信じられません。
なぜかすずに行火をもたせ「折角じゃしゆっくり話でもしたらええ」と哲の部屋へ行かせてしまうのです。
そしてすずを外に出し、中から鍵をかけてしまい、すずは哲と一夜を明かすしかない状況になります。
すずもそれに気づきますが何も言わないで哲のもとへ行きます。
危うく男女の関係になるところでしたが、すずの周作に対する思いは強く哲に抱かれることを拒みました。
後々、自分を哲のもとに行かせたことをすずが怒り周作にその真意を問いただすのでした。
周作は周作で、すずを強引に妻にして、すずにとってはまるで知らない土地に強引に連れてきてしまった。
そのことが、周作にとって負い目になり幼馴染の哲のところへ向かわせたのでした。
周作は、すすが望むなら永遠に哲のもとへ行ってもいいと思ったのでしょうか?
すずに選択させることで、償うつもりでいたのでしょうか?
愛憎劇は、男女の「大人」の関係が絡んでいることは、今も昔も変わりません。
ただ、周作がとった行動は、どう理解したらいいのか?
哲とすずの打ち解けた様子に対して、周作は嫉妬心を抱いたのは間違いないようです。
この世界の片隅にリンの扱い原作とアニメの違い
映画と原作で一番大きい違いというのは、遊郭のリンの扱いです。
原作では、リンの存在は大きく扱われていますが、映画では大幅に削られています。
原作で、周作ははリンに想いを寄せているのが分かりますが、映画では読み取れません。
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リンは、原作において、偶然にすすと交友を深めますが、すずはリンと周作の過去の恋愛関係に気づきます。
昼ドラ真っ青の三角関数勃発ですが、周作はすずの落ち込む姿を不思議に思います。
心配した周作がどうしたのかすずに尋ねたところ、すずは答えます。
「代用品のこと考えすぎて疲れただけ」と周作に謎めいた言葉を言い放ちます。
すずは「りんは自分の代用品なのか?それとも、自分が代用品なのか?」と考えてしまったようです。
「周作の気持ち」はどうなのか?
一番気になっていたのが、「周作がリンを愛していたのかどうか」ということです。
この世界の片隅にドラマでリンの描き方に注目
殆ど恋愛結婚のなかった戦前戦後の昔と、自由恋愛の現代の違いは?
基本的に男と女の本質は変わらないということかもしれません。
リンは子供のころに売られて遊郭に流れ着き、そこで生活をするようになります。
周作とリンは愛し合うようになるが、周りの圧力に屈した形で仲も引き裂かれていきます。
戦時中で、生きることに精一杯なはずなのに、男と女は今も昔も変わらない。
どんなに時代が移ろうとも、人が生きることの本質は変わらないということなんでしょう。
それにしても原作ではリンの存在が大きく、アニメ映画とは別物のようでした。
リンの存在が、物語をより深い境地へ導いているような気がします。
果たして2018年7月から始まるドラマではリンをどのように扱うのでしょうか?
原作に近い扱いだとすればドラマが一層引き立つと思います。
まとめ
「この世界の片隅に」アニメはのんさんのイメージでほのぼの牧歌的です。
「この世界の片隅に」男女の愛憎劇描くも作者の意図謎多し
「この世界の片隅に」新婚初夜における「柿の木問答」の教えを描いた真意が謎?
「この世界の片隅に」すず、周作、哲との三角関係、周作のとった行動が謎?
「この世界の片隅に」ドラマでリンの扱い方次第でドラマの深みが増すと思われる。
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